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生活綴り方

生活綴り方とは,日々の生活を文章にして綴ることで、自らの生活を見つめなおし,生活を向上させようとする教育実践・・・だそうです。

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ガッツボーズの体勢で腕を少し後ろにひき,
空(天井)に向かって一言,

「今日もよく働いた!」

肩の骨がボキボキ鳴り,
重い腕をぶら下げ続けていた肩の筋肉が久しぶりに収縮。
あばらも強制的に広げられて,なんとも気持ちいい。

無意識に行った行為だったが,すごく,すごくスッキリした。
残業のあった人はムカッときたかもしれないけれど…。

教師の仕事に終わりはないけれど,
勤務時間を終わらせることはできる。
「遠き山に日は落ちて」の精神へ,一歩近づけた気分。

生活綴り方 目標は「遠き山に日は落ちて」の心境
自分自身の反省。

たとえそれが妥当な内容でも,愚痴は周りにいやな思いをさせる。
「分かる。分かるよ。でもここで言ってもしょうがないでしょ。」

愚痴は,自分自身が持っている「負の感情」を,周りに広げることで薄めようとする行為。
つまり周りに甘えているってこと。
周りが甘えさせてくれる人だけならいいが,そうでなければただの迷惑。
となれば,相手は家族レベルでなければならない。
少なくとも,「同僚」である他の先生の前で愚痴るのは,社会人として恥ずかしいことだ。

さらに問題なのは,単に文句を言っているだけで,打開策を見つけようとしないこと。
なぜなら打開策を実行に移そうとすると,そこには失敗や何らかの軋轢といったリスクが発生するから。
そしてそのようなリスクを負うより,ただ愚痴を言っている方が安心だから。
だから愚痴る。
つまり逃げているだけってこと。
傍から見ると,見苦しいだろうなぁ。

反省。
では,どうするか。

ただ我慢するだけだと,今度はこちらが参ってしまうだろう。
愚痴ることは恥ずかしいことだと思えても,愚痴りたくなるようなストレスにさらされているのは現実なのだから。
となると,愚痴る以外の方法で,ストレスを解決する,もしくはストレスをもたらす環境から脱出する必要があるだろう。

ということで愚痴りたくなったら…

 ・書き出してみる。
 ・自分なりの解決策を考えてみる。
 ・相談してみる。
 ・失敗を恐れずにアクションを起こしてみる。
 ・別の仕事に手をつけてみる。
 ・席を立って散歩する。
 ・山を見て自分の小ささを実感する。


…そして何より,

 ・まず口を閉じる。


自分はしゃべりすぎだ(^_^;)


2分以内でできることをすぐやるな~アンチGTDの試み - シリアル・ポップな日々

2分以内でできることは、思いついたらすぐやってしまう
というのはGTDのルールの一つですが、これを止めたらどうだろう。


2分以内にできることは,すぐにやるというGTDの基本をあえて否定する意見。
すごいな。
GTDを金科玉条にしないところが。

大切なのは,
「2分以内」をどこに置くか
なのかな。

何かの作業に乗りに乗っている時に思いつく,2分以内のタスク。
これを実行すれば,それまでの作業の「慣性」を失う可能性が高い。
だから実行してはいけない。
これはできている…と思う。

問題はタスクの合間の休憩時間に思いついた,2分以内のタスク。
これは実行しても,特に問題ないように思える。
だがそれが,休憩後に始めようとするタスクの「やる気」を消費してしまっている可能性もある。

もちろん,大抵はすっきりして,かえってやる気がわくと思われる。
でも何か一つやり遂げたことで,「改めて休憩!」ってことになる可能性があるかも。
そんな条件反射的な,小さな達成感を味わっているうちに,より大きなタスクを消化しないままその日を終えている現実。
要注意だ。
いやな思いを忘れようとすると,かえって意識してしまう。
箱に入れ,ふたをして,上に重りを置くイメージを持とうとすると,今度はその箱の存在が気になる。
心の中に,いつでもいやな箱があるイメージなんて,かえって心の重りになってしまいそう。

そこで思いついたのが,野口悠紀雄氏の『「超」整理法』,中でも『「超」整理法3』の内容だ。
机の上の雑多な資料を,ともかく封筒に入れ,書棚にたてかける。
忘れる心配も,なくす心配もない。
でも目の前からは見えなくなる。
これを心の心配ごとやイヤなことにも応用する。

心の中に封筒をつくり,それを心の書棚に立てかけるイメージ。
忘れよう(=捨てよう)とする努力するのではなく,
かといって目の前に置いておくのでもなく,
必ずある,でも意識しないでいい,というちょうどいい距離感。
これをイメージすることで,自分の心に一区切りをつける。

思い付きだけど,意外と有効かも。
(ネタばれ注意…かも?)
ふとテレビをつけると,仮面ライダーシリーズをやっていました。
久しぶりなので思わず見てしまったのですが,どうも様子がおかしい。
息子が小さい時,いっしょに見ていた時期の主人公ライダーが出ているではないですか。
でも変身前の人物は別人。
混乱しつつも,その不思議な感覚にひきつけられ,最後まで見てしまいました。

その後,いったいどういう設定なのかが知りたくなり,Wikipediaで調べてみたところ,以下のような記述が。

仮面ライダーディケイドは本来の姿の他、『仮面ライダークウガ』から『仮面ライダーキバ』までの主役ライダー9人と併せて、主役ライダー10人に変身することができる。ディケイドライバー(変身ベルト)からディケイドの虚像9体が円周や直線の上に出現し、士の実体と併せ10の像が1つになってディケイドに変身する。また、ディケイドが変身する仮面ライダーとは別に、本来の主役ライダーや、主役以外のライダー達も次々と登場。ディケイドは各作品の世界を巡り、ライダーや怪人と戦っていく。
仮面ライダーディケイド - Wikipedia


これは(少々商売の匂いがしますが)なかなか面白い設定です。
でも同時に,どこかで聞いたような気が…。
そこで思い出したのが,マイケル・ムアコックのファンタジー小説,『エターナル・チャンピオンシリーズ』です。

ムアコックが戦士エレコーゼを主人公とした作品を書いた際、彼はこれまでに創造した主人公たち、メルニボネの最後の皇帝エルリック、ヴァドハーの最後の生き残りである紅衣の公子コルム(Corum Jhaelen Irsei)、ケルン公ドリアン・ホークムーンなどが、皆「エターナル・チャンピオン」と呼ばれる存在の化身であるという設定を付与した(中略)そして、各人物は己の人生しか記憶していないが、エレコーゼのみはすべての人格を(完全にではないが)記憶しているとして、エレコーゼを全作品の中心人物としたのである。
永遠の戦士(エターナル・チャンピオン)は、『天秤』(『法』と『混沌』の均衡を保つ存在)の代理として、法と混沌のバランスが崩れた際にどちらかの側に顕現し、バランスを取るために戦う戦士であり、永遠に転生を繰り返すことを宿命づけられ、多元宇宙のサイクルすべての転生を戦いに捧げる存在として書かれている。(中略)
彼らの異なる顕現が一堂に会する事ができるのはタネローンでのみとされており、それ以外での接触はあまり芳しくない影響が出るものと思われる。(中略)ただし例外もあり、ヴォアロディオン・ガニャディアックの塔を巡る戦いではエルリック、コルム、エレコーゼの三戦士が共に戦った(ルーンの杖の力が働いていたとも考えられる)。
エターナル・チャンピオンシリーズ - Wikipedia


異なる世界として描かれていた作品が,実は一つの世界の多元的存在であったという設定。
そして時にはその世界の壁を越え,それぞれの主人公が同時に存在することもある。
似てませんか?
似てないかなぁ…。

ちなみにこの『エターナル・チャンピオンシリーズ』の中で,特に私がハマった作品が『エルリック・サーガ』。
私が高校生だったころ,ファンタジー小説がちょっとしたブームで,ドラゴンランス戦記やロードス島戦記等,いろんな作品を読んだのですが,中でもこの『エルリック・サーガ』はその悲劇性や,設定の奥深さから特に印象に残っています。
そういえば,テーブルトークRPGというゲームもやったものです。
なつかしいなぁ。

きっと今回のディケイドの中核スタッフには,このシリーズの愛読者がいると思いますよ!
それにしても,改めて『エルリック・サーガ』が読みたくなりました。

ストームブリンガー!ストームブリンガー!

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追記:
検索をかけてみたところ,同じような感想を持たれた方が他にもたくさんいらっしゃるようで。

~続・釣れ釣れなるままに★その日暮らし~ ディケイド

上の方は年齢も30代後半ということで,まさに同世代。
なんだかとてもうれしくなってしまいました。
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