FC2ブログ

生活綴り方

生活綴り方とは,日々の生活を文章にして綴ることで、自らの生活を見つめなおし,生活を向上させようとする教育実践・・・だそうです。

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- --:-- | スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-) |
いやな思いを忘れようとすると,かえって意識してしまう。
箱に入れ,ふたをして,上に重りを置くイメージを持とうとすると,今度はその箱の存在が気になる。
心の中に,いつでもいやな箱があるイメージなんて,かえって心の重りになってしまいそう。

そこで思いついたのが,野口悠紀雄氏の『「超」整理法』,中でも『「超」整理法3』の内容だ。
机の上の雑多な資料を,ともかく封筒に入れ,書棚にたてかける。
忘れる心配も,なくす心配もない。
でも目の前からは見えなくなる。
これを心の心配ごとやイヤなことにも応用する。

心の中に封筒をつくり,それを心の書棚に立てかけるイメージ。
忘れよう(=捨てよう)とする努力するのではなく,
かといって目の前に置いておくのでもなく,
必ずある,でも意識しないでいい,というちょうどいい距離感。
これをイメージすることで,自分の心に一区切りをつける。

思い付きだけど,意外と有効かも。

 アルコールを飲んで「くつろぐ」と,翌日は体がだるくてやる気がでない
 夜遅くまでテレビを見て「くつろぐ」と,朝起きるのがつらい

刹那的にくつろげても,結果的に鬱々とした気分になる。
何度もそんなことを繰り返している気がする。

これって本当にくつろいだって言えるのだろうか?
心や体がリフレッシュされ,それ以降の活力が増してこその「くつろぐ」ではないだろうか。

何をもって「くつろぐ」のか。
大人なのだから,ちゃんと考えて選択せねば。
良い姿勢でいると,気持ちが明るくなると聞いたことがあります。
反対に姿勢が悪いと,気持ちが暗くなったり,良くない想像ばかりしてしまうという話。
私も最近同じような体験をしました。
「顎(あご)を引く」効果です。

疲れた状態のことを,「顎を出す」とか「顎が上がる」と言ったりします(広辞苑には「顎が上がる」はありませんでしたが・・・)。
これは単なる慣用句ではありません。
例えばマラソン大会などで長時間走っていると,疲れるに従い,自然と顎が前に出た姿勢になることがあります。

ある朝,出勤のために車を運転している際,自分の姿勢がこの「顎を出」した状態になっていることにふと気づきました。
私の場合,夜遅くまで仕事をしたり,週末で疲れが体に蓄積したりした時の姿勢は,もともと姿勢が悪い事もあって,顎が出た状態になりがちなのです。
その時も,やはり疲れを感じていたものの,せっかく気づいたのにそのままでいるのもなんだと思い,顎を引いてみました。
するとどうでしょう,自然と背筋が伸び,腕に余裕が生まれました。
おそらく反射の一種(姿勢反射?)が起こったのだと思います。
そしてそれにつられるように,心にも余裕が生まれてきて,目もそれまでより覚めてきた気がしたのです。

横断歩道で車が途切れるのを待つ人がいれば,見て見ぬふりをせずしっかり停車。
一旦停止では,しっかりラインでとまり,そこから少しずつ前進。
右折・左折の際は,横断歩道に駆け込んでくる人や自転車がいないか,しっかりと確認してから通過。
どれもやって当たり前,やらなければならないのことなのですが,眠い朝にはどこか何となくといった感じ,小脳のあたりで処理してしまっていることのような気がします。
これってとても危険なことです。
それが,心に余裕があることで,しっかりと大脳で判断できている,確実に車をコントロールできているというような感覚を味わえたのです(大脳での判断が常に安全・確実というわけではありませんが)。

パソコンに向かう時も同じです。
意識して顎を引くと,背中が伸び,気持も(本当に心なしかですが)少しシャンとするような気がします。
維持するのはなかなか大変ですが,ちょっとしたリフレッシュといった感じは確実に味わえます。

「良い姿勢」という言葉はよく聞きますが,もしかしたら少々漠然とした言葉に感じてしまうかもしれません。
より具体的に,気づいたら意識して「顎を引く」。
これを続けてみようと思います。

作成時間:45分
1013字
ただ「ヤバい」と言っていても,状況は変わらないので,ちょっと考えてみた。

自分の力不足が一番の原因であることは分かっている。
時間が足りないのは,仕事を処理できていないから。
早く帰る教員,残業を全くしない教員もたくさんいるし,家事をこなしながら,教職を立派にされている方もたくさんいる。
そう思うと,自分はあまりに…。
だが能力の問題だけに,これを今すぐ解消するのは無理。
※blogを書く時間を削るのも有効かもしれない。
 でも,これは自分にとっての「筆算効果」 と思っているので,もう少し続けたいと思う。
  ■「筆算効果」と「筆算理論」: 用語解説
    :時間管理術研究所 □□ 仕事と生き方、幸せの研究所 □□

とすると頼みの綱は「Lifehack」だ。
能力が足りない部分は,より良い習慣,生産的なシステムで補うという思想。
できるだけ状況の影響を受けない,いわば「生産的な生活の半自動化」。
そんな中思いつくのは・・・
 「コミットする仕事の厳選」
 「細切れ時間を有効活用する習慣」
 「上手な手抜き=仕事の軽重の判断」etc.
どれも頭では分かっているのだけれど,実行に移せていないことばかり。
いや,情報として手に入れて満足しているだけで,本当の意味での理解にまでは至っていないのだろう。
頭でも分かっていないのだ。
かといって,いつまでも本を読んでいても,現実は変わらない。
ともかくここまできたら,小さなことでも実践にうつし,その中で学んでいかなければならないのだろう。

では,何から始めようか?
一度足をとめてじっくり考えたいところだが,そんな時間は当分とれそうもない。
かといって闇雲に始めても,続きそうもないし…。
いや,ここは一つ

 歩きながら考える

でいこう。
ともかく昨日とは違うところに立っていよう。
それが目下の目標だ。

------------------------------------------------------------

「歩きながら考える」って誰の言葉かと思って検索をかけてみたが(これが時間の無駄?),
どうもうまくヒットしない。
誰の名言というわけでもないのかな。
そんな中,以下の言葉がグッときた。


     歩きながら考えることである。
     考えてから歩こうとすれば、
     いつになっても歩くことはできない。
                    加藤締三

 ■ひとみの○印 第639輪 ●歩きながら● [まぐまぐ!]

 
加藤氏のことは,寡聞にして存じ上げなかったが,この言葉は覚えておきたいと思う。
前の週末の反省を,今回の週末+休日に生かせたか?
正直なところ,何も生かせなかった…ふぅ。

といっても,単に無為に過ごしたわけではない。
参加しなければいけないイベント,処理しなければならない仕事が目白押しで,自分自身に選択の余地が無かったというのが今回の状況。
だから「充実していた」とは言えるのだが,「満足できた」からはほど遠い。

目下の一番の悩みは,

 親子で過ごす時間のあり方

これが,どうもうまくいかない。
子どもにとっても,自分にとっても,妻にとっても,不満が残る状況が続いている。

親子の時間の大切さは分かっているつもりだ。
だが休みの日にも,持ち帰った仕事を処理しなければならないため,すべての時間をプライベートのために使えない状況が続いている。
というか,それが常態化してしまっている。
これが悩みの原因。

持ち帰った仕事を処理しながら,子ども達と過ごす時間も作ろうとすると,休憩を兼ねた時間という感じの細切れのお付き合いになってしまう。
すると仕事は停滞するし,そのための不安が自分に生まれる。
もちろん細切れ時間では,子ども達は満足しない(まぁ,子どもが「満足する」という状況は想像できないのだけれど…)。
その分,要求は妻に向かう。
だが妻はまだ小さい次男にかかりっきりのため,それどころではなく,時にはパニック気味に。
そしてその矛先は自分に向かってくる。
結局,家族全員が不満を持ってしまっている。

もちろん,兄弟でうまく付き合えている時間帯もある。
また,それぞれが友達と過ごすことも大切だろう。
だがまだまだ小さい子ども達ゆえ,それらに期待できるのはもう少し先の話。

こう考えると,こんな状況はいつまでも続くわけではないと気づく。
だがそれは「希望」ではなく,「不安」「焦燥」だ。
子ども達が成長し,いっしょに過ごしたくとも「相手にしてもらえなくなる」日が,すぐにやってくる。
その時を,自分はどんな思いで迎えるのだろう。
できれば後悔したくない。
そうなると,この問題は思っていた以上に切迫した状況にあるのだと,今更気づいた…。

ヤバい。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。