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生活綴り方

生活綴り方とは,日々の生活を文章にして綴ることで、自らの生活を見つめなおし,生活を向上させようとする教育実践・・・だそうです。

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優れた授業のポイント    有田和正」を読んで思った。
「構造的な板書」とは,「板書計画を練った板書」のことなのだろう。

当たり前といえば当たり前。
また,逆は真ではないことも承知。
でも,今さらながら思ったのでメモしておく。

自分の数多い弱点の1つが,板書のまずさ。
「構造的な板書を」というアドバイスをもらいながら,しかし一歩も進めずに来てしまった。
克服するための努力をしてこなかった。

でも一歩を踏み出せずにいたのは,あまりに難しく考えすぎていたからかもしれない。
もちろん自分には,骨の髄まで面倒くさがりという,決定的な弱点があるのだが,
難しいから面倒くさい,恐い,と思ってきてしまったという面もあると思う。

板書計画を立てよう。
頭の中だけでなく,見える形にまとめよう。

小さな一歩から始めよう。
あたりまえの,でもやってこなかったことから始めよう。
今さら始めることを恥ずかしがらず,始めよう。
難しく考えず,またすぐにうまくなるとも考えず,ともかく始めよう。

隣の若い先生は,いい授業をする。
彼女は毎日,板書計画を書いている。
全時間の分かどうかは分からないが,毎日書いているのは間違いない。
自分は年上だが,彼女にかなわない所が多々ある。
才能うんぬんは置いておくとして,原因の1つがこれなのだろう。

まずは板書計画を,翌日のいくつかの授業分用意することから始めよう。
全時間と言えない所が,自分の残念なところだが,まずは一歩から。
自分の好きな言葉を支えに…。

「今日のあなたは,
 これまでの人生で一番経験を積んでおり,
 これからの人生で一番若いのです。
 さあ,今日から始めましょう」

これって誰の言葉なのかな?
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午堂 登紀雄さんの「幸せ基準を下げてみる」を読んだ。


「幸せ基準を下げてみる」は,周りのつらい状況を見ることで,現状をプラスにとらえる見方。
うちはまだちょっとマシじゃんと思うことで,つらい状況に耐える。
ちょっと後ろ向きすぎるような気もするが,士農工商という身分制度が長かった日本人には,向いているのかもしれない。
…でも少し考えてみて,もう少し深い話なのではないかと思い始めた。


そもそも幸せってなんなのだろう。
自分が「幸せ」と聞いて思い出すのが,ブータンと北欧諸国。

ブータンはお世辞にも「豊かな国」とは言えない。
北欧だって,夏の美しさが取り上げられることが多いが,冬の厳しさは大変なもの。
経済的な安定も,長く維持されてきたものではないし,これからも安泰というわけでもないようだ。

でも,日本よりましに感じてしまう。

日本はどうすれば幸せな国になれるのか。
日本に住む自分は,どうすれば幸せを感じられるのか。
そう考える時,頭に浮かんでくるのが,「何を得られれば幸せになれるのか」という意識であることに気づく。
物欲,食欲,睡眠欲,知識欲…
「欲」のつくものばかりをとめどなく考えている自分。
意識は拡散するばかりで,一種の焦燥感のようなものも感じ始める。

そこで頭の中に,「幸せ基準を下げてみる」の考え方を持ち込んでみる。
すると浮かんでくるのは,「何を得たいのか」ではなく,「何を失いたくないのか」という意識。
欲しいものではなく,失いたくないもの。
これから得られるものではなく,すでに持っているもの。
そう考えると,意識は集束しはじめる。
焦燥感からちょっと解放されたような気がしてくる。


「シンプルライフ」
「吾唯足るを知る」
「今を生きる」
そんな言葉が浮かんでくる。
特に好きなのは,109段「高名の木登りといひし男」
佐々木正悟氏の記事を読んで,自分なりの保留書類の管理方法を記録したくなった。
自分なりと言っても,カール・P・ワージー氏の手法そのままなのだけれど…。

43 | 仕事術 | メンタルハックス | あすなろBLOG

佐々木氏のいう43とは,いわゆるTickler File(=43Folders)のこと。
GTDではつとに有名だし,『デッドライン仕事術』の吉越浩一郎氏も,同じものを紹介している。

ところが自分にとって,TicklerFileは多すぎるし,場所をとりすぎるし,重すぎる。
アメリカの広いオフィスならいいのだろうけれど…。
さらに,書類が「全く」見えなくなるのが少々不安。
実行日までは目の前からは消えてほしいけれど,「先送りした書類をもう一度チェックしたい!」という時もある。
そんな時にTicklerFileではざっと探せないのだ。

43Tabsは,自分が先送りにしたいのはビジネス文書であって,メモに書かれたTODOではないのでパスした。
PoICは独自に実践しているのだけれど…。

ということで,自分が取り入れたのは,

「ペンディング・システム」

という手法。
出典はカール・P・ワージー氏の『奇跡の仕事術』。
シゴタノ!の大橋氏が,「自分のバイブル」とまで呼ぶあの本である。
具体的には以下のような流れになる(自分なりの解釈も含む)。

[1] 書類が今すぐには完了できない(=ペンディング)と分かった時点で,いつ実行するかを決める。

[2] 実行日を書類の右上に記入する。
 ※実行日≠締切。
  自分以外の人間が関わっていて,その人からの情報等が必要な場合,締切より数日前の日を設定する。
  これで締切前に改めて確認を行い,締切を守らせることができる。

[3-1] 書類が数枚程度ならステープラーでとめ,ペンディング・システム用として決めたフォルダに実行日順に挟みこむ。
[3-2] 書類が多い場合や,その書類がプロジェクトの一部であるという場合は,それぞれ独自のフォルダに収める。

[4-1] ペンディング・システム用のフォルダに収めた場合は,手帳の実行日にあたる欄に書類の名前と「P(=ペンディング)」を書き込む。
[4-2] 独自のフォルダに収めた場合は,手帳の実行日にあたる欄にフォルダの名前と「H(=ホーム)」を書き込む。
 ※これで,どこに書類があるのかが明確になる。ポケット1つの法則に反しているので,ここは重要。

[5] 保険として,毎朝このペンディングフォルダにざっと目を通す


これで,実行日になれば自動的にそのファイルが目の前にやってくるようになるし,実行日までは目の前から消えてくれる。
しかも管理するフォルダは1つだけ。
4が少々面倒なのだが,このシステムのキモになる部分なので大切に。
といっても,ペンディング・システム用のフォルダに挟んだものに関しては,5をちゃんとやっていれば,まず問題ないのだけれど。
数年このシステムを使っているが,結構うまくいっていると思う。

弱点は,A4用紙より小さな紙だと,紛失したり見逃したりする可能性があること。
そのため心配な時は,A4裏紙に貼り付けるようにしている。

なおこの手法によく似たやり方が,自分にとってのバイブルの1つ,リズ・ダベンポート氏の『気がつくと机がぐちゃぐちゃになっているあなたへ』にも載っている。
リズ氏の本は,結構『奇跡の仕事術』の焼き直し感が強いのだが,読みやすいのでこちらもおすすめできる。

参考:シゴタノ! - 5つに分けたデスクスペースの使い方
最近,(少なくとも自分の中で)流行の言葉。

 ・シンプルライフ
 ・ミニマリズム
 ・Zen(禅)
 ・清貧


共通点は,いわゆる「持たない暮らし」である点。
「吾唯足知」の心境といえようか。
その姿は何ともかっこいい。
混沌とした自分の身の回りを見るにつけ,そのあこがれは深まるばかり。

一歩でもこれら「持たない暮らし」近づきたいと思うのだが,言葉のイメージばかりが先行していて,それぞれの実態は漠然としかつかめていない。
目標として持つ以上は,少しでも明確に対象を捉えておきたいもの。
そこで,紙Copiに徒然なるままに書き出しながら,これらの実体を考えてみた。

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シンプルライフでは,「大量消費,大量所有=幸福」という成金的な幸福は否定される。
だが一方で,自分が最高に気に入ったもの,選びに選んだものを持つことの喜びは,否定されるどころか大いに推奨される。
つまり「物欲」そのものは否定しないのがこの考え方。
数が少なければいいというわけではなく,その人の価値観に基づいて選び抜かれた「いいもの」だけに囲まれた,研ぎ澄まされた生活。そんなシンプルライフをとことん極め,隅々まで徹底的にムダを省き,芸術の域にまで高めた状態が,暮らしにおけるミニマリズムだと思う。


Zen(禅)はどうだろう。
禅そのものは仏教の一派であるから,「物欲」は当然否定されそう。
だが,「禅と茶の湯は密接に関係している」と言い出すと微妙に解釈が変わってくる。
利休が完成させたとも言われる侘び茶をはじめとして,茶の湯の世界はその所作,道具など,すべてのムダを省いた,ミニマリズムの極北とも言うべき存在である。
その中では,(本来は単なるお茶用の壺だったとしても)茶会という限られた社会の中でのみ通じる価値観に基いた,非常に高価な品々を,無造作に用いることが良しとされていたという。
晩年の利休が好んだ粗末な器も,後の時代には高価な「名物」としてやりとりされるようになった。
つまりここでも「物欲」そのものは否定されていないのだ。
いわば日本版シンプルライフ,安土桃山版ミニマリズムと呼べるほど,両者に共通点は多いと思う。
いや,こちらこそが元祖であり,海外の人々が "Zen" と表現するのはこの侘び茶の世界なのだと思う。

では,清貧はどうか。
本来の意味は「行いが清く正しいため,貧しい暮らしをすること。」
私利私欲を自ら禁じたため,物質的な満足が「得られない」状態を指す。
前の3者が「あえて持たない暮らし」であるのに対し,清貧は「持てない暮らし」というべきか。
だが清貧という言葉には,そのような辞書的な意味を超え,清々しさを感じさせるニュアンスがあると思う。※
「物質的な満足=物欲の充足」から解脱することで得られる,精神的な満足。
日本における「禅」は,こちらの世界を表現するにふさわしい言葉なのではないだろうか。

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結局,「清貧」とそれ以外という分け方ができるのだろう。
両者の姿はどことなく似つつも,その実は似て非なるもの。

むろんどちらかの方が優れているというものではない。
そもそも出発点が違うのだ。
シンプルライフ,ミニマリズム,Zenは「選択」がその出発点にあるのに対し,清貧の出発点は「我慢」にあると思うのだ。

そして物質文明と言うべき現代,メディアが日々物欲を刺激する情報を流し続ける中,物欲を追い求めてきた自分が,後者をすすんで選択するのは難しいだろう。
それはやせようとするものが,いきなり絶食にチャレンジするようなものなのではないだろうか。
「我慢」には強い精神力が必要であり,モチベーションを保つのは容易ではない。
場合によってはリバウンドの恐れすらある。

それよりも「選択」から始めようと思う。
そこには元々日本にあり,海外から逆輸入された「かっこよさ」がある。
かっこよさは,モチベーションを保つ大きな役割を果たすだろう。
そして,かっこよさを求める中で精神的に成熟したとき,もしかしたら新たなレベル,別の領域に進むことになるのかもしれない。

物質にあふれる現代文明に嫌気がさしたら,まずはシンプルライフから。
「我慢」ではなく,「選択」から始めてみることにする。


※参考-----------------------------------------------------

Amazon.co.jpより
http://www.amazon.co.jp/%E6%B8%85%E8%B2%A7%E3%81%AE%E6%80%9D%E6%83%B3-%E4%B8%AD%E9%87%8E-%E5%AD%9D%E6%AC%A1/dp/4794204779/ref=pd_cp_b_1_img/378-3251691-5709449

清貧の思想 (単行本)
中野 孝次 (著)

内容(「BOOK」データベースより)
生活を極限にまで簡素化し、心のゆたかさを求めたわれらの先達。西行・兼好・光悦・芭蕉・良寛など清貧に生きた人々の系譜をつぶさにたどり、われら今いかに生きるべきかを改めて問い直す。

読み継がれて欲しい1冊, 2005/7/16
By 仮面ライター (札幌市) -
 本書が世に出たのは、まだバブル経済の余韻が残る1992年である。巷にはまだまだ、胡散臭い「青年実業家」や怪しげな「バブル紳士」などが跋扈していた頃であろうか…。
 そうした時代背景の中、清爽な一風といえるのが本書であった。「清貧」という「美しい思想」を、吉田兼好や良寛、鴨長明などの古典を通じてこの国の「精神文化の伝統」として見直し、「未来の新しい生の原理となりうるものを見出したい」という願意がひしひしと読み手に伝わってくる書物である。
 「清貧とはたんなる貧乏ではない。それはみずからの思想と意志によって積極的に作り出した簡素な生の形態」であり、「名利を求めず、貧を憂えず」(禅僧・寂室)、「自然といのちを共にして、万物とともに生きること」でもある。それは一部の文人たちだけに限られたものではなく、「言語表現能力を持たないふつうの生活者の中にも根強くひろく行き渡っていた」し、実際、私の父や母を含む祖先たちの志操であった。
 バブル経済の崩壊以降、ある意味で心の拠り所を失ったといえる日本人にとって、「清貧の思想」は掛け替えのない精神的「財産」であり、その思想を説く本書も長く読み継がれて欲しいと願っている。
 なお、著者の中野孝次氏におかれては、惜しくも04年7月逝去されており、氏のご冥福を心からお祈りしたい。
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